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2021年03月12日
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特別展 瀧廉太郎 憾の真実 2021/3/19(金)〜4/25(日)

時は「明治」。
日本の音楽の未来を切り開き、若くして世を去った瀧廉太郎。

そして、時は流れ2019年。
親友鈴木毅一が残した資料が、廉太郎ゆかりの地、大分県竹田市へ。

廉太郎自筆による
遺作「憾」の楽譜などを公開します。

 日本の西洋音楽受容期に、数々の名曲を世に残し、わずか23歳という若さでこの世を去った天才音楽家、瀧廉太郎。
彼がここ大分県竹田市へ引っ越してきたのは、明治24(1891)年のことでした。父が大分県直入郡長になったためで、12歳から約2年半を郡長官舎(現在の瀧廉太郎記念館)で過ごし、直入郡高等小学校で学びました。そして、明治27(1894)年に同校を卒業し、音楽の道へ進むために上京。高等師範学校付属音楽学校(現在の東京芸術大学音楽部)で学び、明治34(1901)年にドイツへ留学するも、不運にも病に倒れ、志半ばでの帰国を余儀なくされました。帰国後も療養を続けますが、肺結核に侵された廉太郎の病状は快方へ向かうことなく、明治36(1903)年6月29日、23歳と10ヶ月の短い生涯を閉じたのです。音楽学校在学中より作曲に取り組み、短い生涯に作曲した作品はわずか34曲でしたが、「花」や「荒城の月」など時を超えて多くの人に歌い継がれる名曲を残しました。廉太郎はまさに日本の音楽の扉を開いた音楽家であったと言えます。

 そして時は流れ、廉太郎の生誕140年を迎えた2019年1月。彼の音楽学校時代の無二の親友、鈴木毅一の旧蔵資料が竹田市に届きました。驚くべきことに、その中にピアノ曲「憾」の手稿譜が、しかも作曲途中の草稿譜も一緒に残されていました。これらの楽譜により、死の淵に立ちながら作曲した「憾」の作曲過程が明らかになり、彼の音楽に対する情熱をより鮮明に窺い知ることができる様になったのです。

本展覧会はおよそ19年ぶりに竹田市で開催される「瀧廉太郎展」となります。「憾」手稿譜をはじめとする鈴木毅一旧蔵資料中の廉太郎関係資料を一挙に公開、また竹田市に伝来した資料も一堂に展示します。明らかになった「憾」の作曲過程を紹介するとともに、廉太郎の生涯とその業績を再確認します。

会場竹田市歴史文化館・特別展示室ちくでん館
開館時間午前9時〜午後5時(入館は16時30分まで)
休館日木曜日
主催竹田市 竹田市教育委員会
後援大分合同新聞者 OBS大分放送 TOSテレビ大分 OAB 大分朝日放送 J:COM大分ケーブルテレコム

【観覧料】

高校生以上500円(400円)
65歳以上250円
小中学生300円(200円)
幼稚園以下無料

各種障害者手帳提示者とその介護者1名は無料

※上記金額は国指定史跡旧竹田荘の観覧料を含みます。
※岡城ガイダンスセンターと市民ギャラリーの観覧は無料です。
※()内は団体料金【20名様以上です。】

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